「伝統的な和食よりも「ちょっと洋食」がいい」・古河市で筋肉を軟らかくして痛みを改善する口コミでおすすめの治療院!!!
おはようございます!
’75年型の食事とは、
ひと言で言えば『基本は和食+ちょっと洋食』。
それまでは伝統的な和食が食べられていたが、
’75年頃から洋食が流行し始め、
一般庶民の食事にも上るようになったのだ。
’60年頃の食事は米の量が多くて
おかずの種類が少なく、粗食すぎる。
塩分が多すぎることも問題だ。
’90年頃になると洋食の占める割合が増え、
’05年にはさらに増え、脂質が多すぎてしまう。
和食と洋食の割合は、
’75年の食卓がもっとも理想的なのだ。
管理栄養士が言う。
当時は、揚げる、炒めるといった、
油をたくさん使う調理方法は、
現在ほど一般的ではありませんでした。
基本は、煮るか、ゆでるか。
’75年当時は、油の多い洋食が献立に入るときでも、
それ以外のメニューはすべて和食のままだったので、
自然とバランスが取れていたのです。
例えば、パスタにするなら、
つけ合わせはほうれん草のソテーではなくおひたし。
洋食にスープではなくみそ汁を合わせるのも、
当時はよくあったことではないでしょうか。
同時に、肉を食べる回数も
いまよりずっと少なかった。
肉食は75年頃に一気に
日本に浸透していったのだという。
’60年の日本人の1日の肉摂取量は、
1人あたり約20g。
そこから少しずつ増えていきますが
’70年の時点では50g未満です。
それか’75年になると一気に
約64gまで増えるのです。
当時の中流家庭では、
肉料理といえば、
ステーキ、シチュー、豚のしょうが焼き、
そしてすき焼き。
もっと庶民的なものでは、
コロッケやメンチカツが
日常的な洋食の代表格となった。
’75年を境に肉の摂収量は右肩上がりに増え続け、
’15年には1日90g近く摂取している。
一方で魚の摂取量はじわじわと減っており、
’06年には、肉の摂取量の方が多くなる。
’75年の『魚:肉=8:3』の割合が、
もっとも健康にいいということだ。
ではなぜ’5年に急激に肉食が増えたのか。
’75年といえば、
高度経済成長がひと段落した頃。
食文化史研究家は『この頃は誰もが明るく、
プラス思考だった時代』と語る。
’32年生まれで、今年で90才になる水山さんは、
’75年当時は43才だった。
日本の食文化は、
敗戦を機に変わっていきました。
進駐軍のアメリカ人と自分たちの
体格や健康の差に驚き、
その違いが食生活にあると気づいたのです。
”おいしくて力がつく”と、
日本人も少しずつ肉を
食べるようになっていきました。
外食産業の登場も、
日本人に洋食を定着させるきっかけとなった。
すかいらーく、
ケンタッキーフライドチキンの1号店の誕生は、
大阪万博ほのあった’70年。
翌71年には東京・銀座に
マクドナルド1号店が進出する。
しかし、肉ばかり食べていても体に
よくないと考えるようになった日本人は、
従来の和食の欠点を修正しつつ、
日本人向きの独自の食べ方を編み出し、
それが一般家庭にも浸透していく。
試行錯誤を重ねて日本人がたどり着いたのが
”野菜と一緒に煮る”ことです。
70年代に出版されて当時大ベストセラーとなった
『最新家庭料理全書』というレシピ本には、
鶏肉、豚肉、働肉を野菜と煮込んだ料理が多い。
肉じゃがや豚汁は、いわば肉と野菜のスープ。
和+洋のいいとこ取りの、
日本食の傑作です。
根菜類の煮物は『煮菓子』とも呼ぱれ、
来客をもてなすときに
お菓子のように提供していました。
そして、卵を頻繁に食べるようになったのもこの頃。
高度成長期には、当時、
子供たちに人気のあった3つを集めて
『巨人・大鵬・卵焼き』と言ったほどだ。
卵の生産量、消費量ともに、
’70年代は増えています。
こうして、動物性たんぱく質の
摂取量が増えていきました。
(「女性セブン」2022年06月09日号より)
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